明治維新と南都寺院

今奈良新聞で 興福寺の執事長の多川良俊さんが「興福寺あれこれ」という連載をされているのですが、そこに「南都寺院が明治5年10月の教務省令第128号に発布により7宗派(天台・真言・浄土・浄土真宗・禅宗・日蓮・時宗)のいずれかへの所属が命じられた」ということが書いてあったので気になったので調べてみました。

南都寺院は7宗派よりも歴史が古いことから独立運動がその後起きたそうですが、そんな経緯を知っている人ってどれくらいいるんですかね〜

ちなみに

西大寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺などの多くの寺院→真言宗
東大寺→浄土宗(鎌倉の再建時に浄土宗の重源の勧進活動によるご縁で)

に属することになったそうです。

重源さんのことはこちらにまとめてありました。