985年に天台宗出身の恵心僧都源信が著した書物に『往生要集』というのがあります。平安時代は、794 〜1185なので、985年は平安時代の後半になりますね。
この時代を読み解くキーワードに末法思想というのがあります。仏教の歴史観ので、末法に入ると仏教が衰えるとする思想です。お釈迦の様の入滅後、初めの500年を正法、次の1,000年を像法、そしてその後の10,000年を末法といい、末法の世には真の仏法が衰えて、世の中が混乱するとい考えられていました。日本では、1052年に末法の世を迎えるとされていました。
最近の若い人はご存じないかと思いますが、ノストラダムスの大予言というのがあって、「1999年7の月、人類滅亡の日」と予言されていて心中穏やかでない人がたくさんいたのと似ていますね。
時代も呼応するかのように戦乱が各地でおこり、飢饉が頻発し、疫病が蔓延していました。ものすごく死というものを身近に感じていたのでしょう。そういう時代背景の中でこの『往生要集』は誕生したのでした。
内容は、此岸の穢土(今のこの世の中)を離れて彼岸の浄土を求めるという思想で、難しい言葉では、「厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」と言います。その浄土にいたるための念仏の方法論が書かれていたので、お浄土に行くための方法を示したマニュアル本として普及したようです。
今は念仏といえば、「南無阿弥陀仏」と口で唱える称名念仏のことを指しますが、当時は「念仏」とはまさに字の通り、「阿弥陀仏の姿やその功徳、さらには浄土の具体的様相を思い描く(観想念仏)」が重視されていました。
なので世の中にはその極楽浄土をイメージしやすくするためにいろいろな建造物も造られたのです。代表的なのは宇治の平等院です。
平等院は先ほど末法の話で出てきた末法初年に当たる1052年に造られました。当時の人が極楽浄土をどのうような姿としてとらえていたかは平等院を見れば分かるということです。
この話長くなりそうなので今日はここまで。
この作者恵心僧都源信の生まれは、942年、大和国葛城下郡(現在の奈良県葛城市当麻周辺)なので、もともとは奈良にゆかりのある人なんです。